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 地区の概要
 本地区は、県南部に位し、利根川及び新利根川の流域で、稲敷市、河内町の1市1町に跨る受益面積5,750ヘクタ―ルの単作穀倉地帯である。
 本地区は、主水源を利根川及び新利根川に求め設置された国営用排水機場6ケ所、県営、団体営事業により設置した分水工及び大、小の機場等によって、パイプライン方式によりかんがいを行なっている。又排水は、直接霞ヶ浦、新利根川に排水される。







 沿革と経過
 本地域は、利根川の増水、小貝川堤防の決壊、或いは、豪雨による湛水等で、低地は3年に一度は水害に見舞われた、明治43年の洪水では殆んどの耕地が水没し、収穫皆無に等しかった。又昭和年代になって10年、13年、16年と豪雨による被害が続き、農家は、出稼ぎや救済工事の賃金によって生活を支えると云う苦難な時代が続いた。政府においても、水害防止の見地から、明治初年利根川改修工事に着手し、その後大正、昭和と引き続き河川工事が施行され、豪雨による水害の憂はなくなった。一方、本地区の中央部を貫流する唯一の水源である新利根川は、今を去る330年前の寛文年間開鑿せられたもので、当時は殆ど無堤に等しく、氾濫するに委されていた。その後昭和初期に至り河川改修が行なわれたが、全般的に地盤が低く、田面が新利根川の平水と殆ど同高であるため、僅かな河川の水位上昇によつても直ちに排水は不能となり、湛水の被害は依然として跡を絶たず、毎年冠水害に苦しめられていた。
         
たまたま、昭和17年周辺地区有志によって湛水排除期成同盟が結成され、水害から耕地を護る運動が展開されたが、戦時中のため労働力や機械が不足し、十分な活動は出来なかった。昭和20年終戦となり食料不足が大きな問題となった政府は米の増産を計るため、昭和21年土地改良法施行以前に、農林省直轄の国営農業水利事業第1号をもって新潟県阿賀野川流域と同時に旧12町村(合併後5ケ町村)を区域として約5,200ヘクタ―ルの耕地に16億4千万円の国費をもって、農林省新利根川農業水利事業に着手し、66,000ボルト変電所、機場9ケ所、幹線水路42,040米を19年の才月を要し完成した。その間、昭和29年度より付帯県営工事に着手、機場4ケ所、用排水路11,916米を造成し外水防禦と農業用水の骨幹工事を完成し、団体営圃場整備事業の基礎を確立した。
 この土台の上に立って、国営事業施行地域耕地(5,200ヘクタ―ル、組合員4,500名)を区域とし、昭和28年1月17日付、知事の認可を得て土地改良区を設立、国県営造成施設の維持管理及び国県営償還金の負担業務にあたると共に、団体営で土地改良の最終的段階である圃場整備事業を大規模に導入し、最新式な工法により連年実施した。現在、全地域5,750ヘクタ―ルの内、圃場整備は100%完了し、尚、用水については、昭和39年よりパイプラインによる工法を採用、用水設備がほぼ 100%完成しており、栽培技術の進歩と新鋭農業機械の導入によつて労働力が極度に軽減され、合理的な営農形態によって農業効果を充分発揮して来た。
しかしながら昭和27年前後に製作された用排水施設及び機器等は、30余年の才月を経過し、老朽化が著しく、国の施策として実施されている水稲以外への転作等に対応するには、非常に困難を来たしていた。
 本改良区は、国の施策に対応出来る農業の基盤作りを進めるべく農地の乾田化を目的として、施設の更新統合を図り、用排水路を分離改修する計画を立てた。
昭和55年、農林水産省新利根川沿岸農業水利事業として、豊田新利根土地改良区の一部を含む7,030ヘクタ―ルを受益地とする計画が開始され、昭和56年度着手、平成4年度末300億円余の事業費が投資されこの事業が完成し、県営による付帯かんがい排水事業が昭和59年度採択を受け、直ちに全体実施設計を行い、昭和60年度着工、141億円余の事業費をもって平成13年度完了した。これにより現況における用排水兼用の施設は分離又は統廃合され、用水の安定的供給と洪水の排除のほか、常時排水により汎用耕地化が図られた。
 現在当改良区の機構は、平成14年度に定款変更がなされて、それまでの理事20名、監事8名から理事17名、監事5名に役員の定数が変更をされ、総代102名(総代については現在定数が102名であるが、平成16年度において定款変更がなされて、平成17年2月の総代の任期満了に伴う改選後より総代定数78名)、職員16名、雇1名で国県営及び団体営で造成された施設の管理運営にあたっている。